白石晩年の書簡 61
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作成日時 : 2009/01/15 16:24
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学問好きの前田綱紀は、何度かさまざまの質問を復庵を通じて白石に寄せた。この時の質問のうちいくつかの固有名詞の唐音での発音について、白石はわざわざ信頼する友人で中国語の大家である深見玄岱に問い合わせた上で、答を復庵に託している。前にも紹介したように、深見は中国からの帰化人の養子で長崎育ちだったが、白石の知遇を得て、家宣将軍時代に幕府の儒官に召し抱えられた。白石の回答の後半には風土記に関することがあり、彼の歴史学・文献学についての考えを示す部分があるので、次に引いておきたい。
「一 風土記の事、昨日も申上げ候ごとくに、文久のころすでに官本も残闕と見え候。所見はたしかに中原師行の説見覚え候事これあり候。しかれば此書亡失も年久しくは見え候。それがしなど見及び候うちには、出雲国風土記を全本と存じなし候。その余はわづかに郡郷等の事を記し候多少をもって、かれこれよりはまさり候かと存じ候事のみに候。
それにつき一事申上げ置きたく存じ奉り候所願は、それがしただいまに至り候て、学文(学問)の事など精力も衰へはて候て、志もまたひとしく衰へ候事に候。しかりといへども書生の習気とやらむ申し候へば、今より後も余生も候はんほど、此事ならでは日月を送り候はむ事もなく候。しからば夙志を償ひ候とやらむ申す事のごとく、むかし志の候ひしごとくもの中一二事をも講究し候はんは、老後の楽しみとも申すべく候か。
しかるに異朝の事等は、あなたに代々の先達打ちつヾき発明せられ候事多く候へば、ただその書を博く覧(み)候はんまでにもこれあるべく候。(*中国で各王朝の正史が連綿と編纂されたことを指している。)
本朝の事においては、いまだ先達にそれらの撰述これあり候人も多からず候にや、承りも及ばず候。或は家々の日記、或は近世の公事の沙汰などには、精錬の衆中今とても絶えずこれあるべく候。これらは堂上の方々には習熟もなくしては叶ふまじく候へども、それがし式(*式は謙譲の語尾)のごとき、それらの事習熟し候はんは、いはゆる屠龍の技を学ぶ類に候。さのみ心を費やし候に及ぶべからず候か。(*「屠龍〈とりょう〉の技」とは、『荘子』にある、苦労して龍を屠殺する技を学んだが、龍が実在しなかったので使うことができなかった、という話で、学んでも実際には役に立たないことを言う。)
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