白石晩年の書簡 19
若いときから白石の詩人としての名は知られ、天和二年(1682)に来日した朝鮮使節と面談した時、自作の「陶情詩集」の批評を乞うたところ、「鏘々(しょうしょう)として金玉の声あり」と絶賛された。(註)全集に収録されていない「陶情詩集」については、研文出版の一海知義・池澤一郎著 『日本漢詩人選集5 新井白石』に百首中六十首以上の懇切な注解がある。正徳の使節の時の詩文の交流を示す成果も多く残されている。
同じ書簡の残りの部分を読むことにしよう。
「一 二月二十五日に内藤宿の屋敷地御引渡しにて罷り越し候。それがし拝領し候やしき(*土地だけ)の東西南北ことごとく皆人々に下され候やしきと見へ、定杭(じょうぐい)は一々これあり候へども、人とては住まぬ所に候ひき。皆々麦畠に仕りおき候ひき。引き渡しの御役人を相待ち候うちに、ふと存じ寄り(思いつき)候ひしは
青麦阡々秀 紅桃樹々春 (麦は青々と茂り 紅桃の木々には花が咲いている)
烟中聴犬吠 似有避秦人 (烟霞の中で犬が吠え 隠れた秦人が居るような風情だ)
これにてその境致はお察しなさるべく候。なかなか仙骨なきもの住すべき事、及びなく覚え候ひき。いつも二月には皆々様を請じ奉り梅花を賞し候に、これも焼け失せ候。むすめどもいづかたよりか梅の枝をもとめ候て、鏡台の傍に挿し置き候を見て、感慨生じ仕り候もの候。別にうつし遣わし候。
一 いつかいつかもとのごとく、しばらくも心静かに貴意を得候(会って話す)事をこひねがふより外これなく候。以上。
三月廿一日」
同じ書簡の残りの部分を読むことにしよう。
「一 二月二十五日に内藤宿の屋敷地御引渡しにて罷り越し候。それがし拝領し候やしき(*土地だけ)の東西南北ことごとく皆人々に下され候やしきと見へ、定杭(じょうぐい)は一々これあり候へども、人とては住まぬ所に候ひき。皆々麦畠に仕りおき候ひき。引き渡しの御役人を相待ち候うちに、ふと存じ寄り(思いつき)候ひしは
青麦阡々秀 紅桃樹々春 (麦は青々と茂り 紅桃の木々には花が咲いている)
烟中聴犬吠 似有避秦人 (烟霞の中で犬が吠え 隠れた秦人が居るような風情だ)
これにてその境致はお察しなさるべく候。なかなか仙骨なきもの住すべき事、及びなく覚え候ひき。いつも二月には皆々様を請じ奉り梅花を賞し候に、これも焼け失せ候。むすめどもいづかたよりか梅の枝をもとめ候て、鏡台の傍に挿し置き候を見て、感慨生じ仕り候もの候。別にうつし遣わし候。
一 いつかいつかもとのごとく、しばらくも心静かに貴意を得候(会って話す)事をこひねがふより外これなく候。以上。
三月廿一日」
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