白石晩年の書簡 11

 加賀藩医小瀬復庵は白石より十七歳若く、『太閤記』の著者小瀬甫庵の孫で、元の名は坂井順元だったが、のちに高名な祖父の姓を継ぐことにした。前田綱紀の信頼が篤く、参勤交代の度に江戸と金沢を往復したので、白石書簡の中にも江戸の藩邸宛と国元の金沢宛の両方が含まれている。白石は鳩巣を通じて加賀藩に知己を得たが、特に復庵には健康上の相談をよくしていた。
 一方、室鳩巣はもともと若年の時から加賀藩に仕え、藩主前田綱紀の命で木下順庵に入門した後、白石と出会うことになったので、白石の推挙で幕府の儒官になった後も、加賀藩とのつながりは深かった。普通彼の著書として扱われる『兼山秘策』『浚新秘策』『可観小説』などは、鳩巣の門人の加賀藩士青地兼山、浚新兄弟が自分たちが鳩巣からもらった書簡を中心にして、雑多な記事を収録した編纂物である。小瀬復庵もそうした鳩巣門下の文人グループの一人だった。
 この手紙の書き出しの部分にある「思し召し寄り」とは〝心をこめる〟というほどの意味の手紙の常套句で、現代語なら〝わざわざ〟と言えば済む。以下に引用する多くの書簡には、こうした当時の消息文用の常套句が頻出するが、たいてい内容には直接かかわりがないので、その都度注釈はつけないこともある。
 

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