白石晩年の書簡 376

  次の条は送ってもらった花のその後の状況についての報告で、続いては東北の洪水を知らせる便りに対する所感である。
「一 瑁瑰(ハマナス)白萩、両根共に相達し候。なにとぞなにとぞ芽を発し候へかしと、早速日あたりよき所へ植え置き候て、自愛此事に候。御礼申しつくしがたく候。去年の萩は当年実多く結び候故、其実をふせ候てたのしみ申す事に候。返す返す千里の御芳情とはこれらの事と忝き仕合にて候。
一 其地洪水の事御申越し候。去年今年は天下諸国洪水沙汰のみにて候。某領所なに事もなく、当年は近年にこれなく候豊饒と申し候。それにつき冥々中恐惶少なからず候と仰せ下され候。申すに及ばず候事ながら、感心此事に候。論語の末にも、命を知らずば君子たるべからず、と候か。また、天命を知る、なども仰せられき。だれも誰もよみ候事、申し候事にて、さりとはさりとは世の中学者たち天命に目のつき候見当たらず、況や素人衆は道理たることに候。
 天地古今之間の事共見めぐらし候に、大かたは命に目のつき候めづらしく候か。それ故にすこしく才もこれあり候人は、我権勢智力にてなに事もなせばなる事とのみ心得られ、世を欺き民を愚にし、罪を天に獲られ候事と相見え、かなしき事に候。
 天地の間に陰と陽と相わかれ候には、いかなる善の中にも悪き事はこもる事に候。又いかなる悪の中にも善はなくしてかなふべからず候。但したとへば肥饒(ひじょう)の地より出で候ものは、百物皆々宜しく候。蝮蛇など埋み候やうなる悪土より生出し候ものは、五穀のごとき種の美なるも大毒をなし候。されば孔子も政共にそしるにたらずとか申され候。ただただ仁と不仁との二つに落着き候事と見え候。不仁の利欲より出で候事は、いかによきことを仮り候とも、ことごとく皆天意にかなふべからずや。
 冥々の所に心づき候事、返す返すも感じ入り敬服之至に候。」
 東北のみならず天下諸国が洪水・水害にみまわれたにもかかわらず、例年河川の氾濫で被災することの多い白石の野牛(やぎゅう)の知行所は珍しく被害がなく、豊作だという。
 その後の「冥々」から天命についての論説は、洞巌の手紙のどういう文章に対応するのかわからないので、今一つ腹に落ちないが、権勢や智力によって何でも押し通そうとする法家的な政治観の部分には、徂徠を意識するところがあろうし、また間接的には吉宗の改革政治への批判も含意されていると思う。徂徠は政治を倫理とは切り離して、政治学の自立への道を開いたのだが、白石の場合は「仁政」が政治の根本だとする立場を失うことはなかった。
 なお蛇足ながら、上記文中の「命を知らずば君子たるべからず」は、『論語』末尾の尭曰篇に「命を知らざれば、以て君子たること無きなり」とあるのによるし、「天命を知る」は、同じく『論語』為政篇の「五十にして天命を知る」という有名な言葉を指している。

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