白石晩年の書簡 446

 次の条では江戸から国元へ帰った高橋玉斎への挨拶の外、玉斎の洞巌への江戸の状況報告を予想して、火事と放火取締のことなどに触れている。
 「一 与右衛門殿(高橋玉斎)御帰り候後に書中(玉斎への手紙)にても進じたきものに候へども、右の仕合にて其儀に及ばず候。御参会之節よろしく頼み奉り候。当地老朽草屋のありさまなど委細に聞召さるべく候御事に候。御察しのごとく火事々々と申し候事を遠く承り候一事の益の候はんか。めづらしき所に膝を容れ候事に候。去頃の火事は藩邸(仙台藩邸)あやうき御事と承り候に、よく御防ぎとめられ候など申沙汰候。日々に火あぶり仰付けられ候て、火つけのものは根をぬき葉を枯され候はんなど申し候へども、とかくに火事はやみかね候。きのどく(残念)に存じ候。」
 玉斎から自家の様子を詳しく聞いてもらっている通り、市街地からは遠くて、火事が頻発しても話に聞くだけで済むのは一つの利点だ、と自嘲をこめて語る。幕府当局はこの頃放火による被害に手を焼いたらしく、『徳川実記』でも放火犯人の密告を奨励する考察が何度も出されたことが記録されている。【有徳院殿御実記享保七年十一月二日の条、同八年三月条など】
 「一 壽言の裱(ひょう 表装)なされ下されさてさてしほらしき紙にて感じ入り候。九月十三日夕の御興の事仰せ下され、健羨の至に候。」
 この書簡の 冒頭に書いてあったように、九月十四日の洞巌からの返書に添えて、内孫誕生の祝いの言葉を洞巌が書き、それを軸物に仕立てたものが送られてきていた。すでに帰国した高橋玉斎を通じて白石家の模様を九月初旬に知っていたからである。なお、その手紙に、前日の九月十三夜の月見の事が書かれていたので、白石は自宅でのまことに寂しい月見と比べて羨んでいる。
 このあと、八月末に白石から洞巌の幼息市郎に書いてやった添書に対する謝礼の書帖と中字の書を見て、感想を書いている。
 「一 市郎殿より書付進じ候ものへ御謝帖下され、並びに御かき候中字も落手、とりどり見事なるなる事にて、珍重の至に候。またまた書中をもって御礼等も申入れたく候へども、右申し候事共に障られ、其儀に能はず候。恐れ乍らよろしく頼存し奉り候。」

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