尾張徳川家から贈られた薄茶器 6

 問題はなぜ稲葉正休が堀田を刺殺しようとしたのかだが、「乱心」などという取り繕いで説明のつく話ではない。のちに田沼意次の子息意知(おきとも)を殿中で襲撃した佐野政言(まさ(こと)も「乱心」とされたが、稲葉は佐野ごときひがみ者ではなく、出世街道に乗ったいわば老中候補の若年寄だったのだ。しかも若年から将軍に小姓や近習として直接仕えた経験を持ち、将軍からも信頼を得ているという矜持があった。したがって単なる私怨などでこんな大それた事件を起こしたりはしないはずである。
 ところで、京都堀河の古義堂で古学を提唱していた伊藤仁斎の主著『論語古義』『孟子古義』や書き上げたばかりの『語孟字義』などの書写本が、天和三年閏五月末に当時在京中だった稲葉正休に進呈されたという事実がある。現存する『仁斎日記』はたまたま天和二年から同三年にわたっていて、それらの各部分の書写を担当した門弟たちの名や、また完成した書写本を箱に入れて包装した様子も細かく書き留められている。【天理図書館善本叢書和書之部七十九巻の一『仁斎日記』】 正休は淀川治水工事の下見調査に四か月京都に滞在中だった。仁斎が古義堂一門を総動員して書写と製本に当ったについては、正休の気まぐれな依頼に応じたというようなことではなく、当時京都所司代だった正休の従兄の稲葉丹後守正往(まさみち)が間に入っての頼みだったからだろう。なお、上記『仁斎日記』の解題で日野龍夫氏は正休を京都所司代としているが、これは勘違いである。

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