白石晩年の書簡 256
ところで、白石は関西での編纂物の名前をここでは『八居之詩』という名前で呼んでいるが、現在ではこのあたりの書誌学的研究が進んできているので、正確にはこの書は『八居題詠』の名で瀬尾源兵衛の奎文館で享保六年に出版された。瀬尾は伊藤仁斎の門人であり、堀川学派の人たちが何人か加わっているのもうなずけるところである。 その書には付録がついていて、諸家の雑多な作品が集められたが、そこに白石の若い頃の作品も収録してあったようで、多分それらに復庵が言及したのだろうか、彼は少し気恥ずかしそうな解説を加えている。そのうち「容奇ゆき)」という詩は次の様なものだった。
曾下瓊鋒初試雪 紛紛五節舞容閑
一痕明月茅渟里 幾片落花滋賀山
提剱膳臣尋虎跡 捲簾清氏対竜顔
盆梅剪尽能留客 済得隆冬無限銀
(読み下し)
曾て瓊鋒(ぬぼこ)を下して初めて雪を試む (古事記の国生み神話)
紛々たる五節、舞容閑なり (源平盛衰記の五節舞)
一痕の明月、茅渟の里 (百人一首吉野の歌)
幾片の落花、滋賀の山 (古今集の志賀の山越え)
剱を提げて膳臣(かしわでのおみ)は虎跡を尋ね (日本書紀の百済での武勇伝)
簾を捲きて清氏(清少納言)は竜顔に対す (「枕草子」の香炉峰の雪)
盆梅剪り尽して能く客を留む (謡曲「鉢の木」)
済ひ得たり隆冬限り無きの銀 ( 〃 )
白石にとってはこれはほんの手すさびのつもりで、自選のいかなる詩集にも収めなかった若年の作だったから、意外な取り扱いに対して、「是非もなき事」と当惑の気持を述べているのである。しかしこの詩の日本古典のたくみな取り入れ方に興味を覚えた読者は多かったらしく、江村北海の『日本詩史』にも取り上げられて、後世に長く伝わることとなったのはおもしろい。
*『八居題詠』をめぐる事情は杉下元明『江戸漢詩 影響と変容の系譜』【ぺりかん社2004年】に詳しい論考が ある。
同じく付録に「蕎麦麪」という詩も含まれていたようだが、これは益田鶴楼宅で岡田竹圃の新作に興を覚え詠み散らしたものだという。白石の才気煥発の時代の姿をほうふつとさせるエピソードである。岡田竹圃の祖父は秀吉による壬辰の朝鮮出兵で捕えられて渡来した人。竹圃は白石らと同じく木下順庵門下で、紀州藩に仕えた。
書簡末尾に、二十一日は都合が悪いから、二十二日か二十三日に二冊の冊子返還のための復庵の訪問を待つという記述があるが、復庵に勤務があるなら帰りに寄って、白石宅で水漬(茶漬のようなものか)でも食べてゆっくりしてから迎えを呼んでもらえばよいというあたり、両者の親密ぶりがうかがえる。
曾下瓊鋒初試雪 紛紛五節舞容閑
一痕明月茅渟里 幾片落花滋賀山
提剱膳臣尋虎跡 捲簾清氏対竜顔
盆梅剪尽能留客 済得隆冬無限銀
(読み下し)
曾て瓊鋒(ぬぼこ)を下して初めて雪を試む (古事記の国生み神話)
紛々たる五節、舞容閑なり (源平盛衰記の五節舞)
一痕の明月、茅渟の里 (百人一首吉野の歌)
幾片の落花、滋賀の山 (古今集の志賀の山越え)
剱を提げて膳臣(かしわでのおみ)は虎跡を尋ね (日本書紀の百済での武勇伝)
簾を捲きて清氏(清少納言)は竜顔に対す (「枕草子」の香炉峰の雪)
盆梅剪り尽して能く客を留む (謡曲「鉢の木」)
済ひ得たり隆冬限り無きの銀 ( 〃 )
白石にとってはこれはほんの手すさびのつもりで、自選のいかなる詩集にも収めなかった若年の作だったから、意外な取り扱いに対して、「是非もなき事」と当惑の気持を述べているのである。しかしこの詩の日本古典のたくみな取り入れ方に興味を覚えた読者は多かったらしく、江村北海の『日本詩史』にも取り上げられて、後世に長く伝わることとなったのはおもしろい。
*『八居題詠』をめぐる事情は杉下元明『江戸漢詩 影響と変容の系譜』【ぺりかん社2004年】に詳しい論考が ある。
同じく付録に「蕎麦麪」という詩も含まれていたようだが、これは益田鶴楼宅で岡田竹圃の新作に興を覚え詠み散らしたものだという。白石の才気煥発の時代の姿をほうふつとさせるエピソードである。岡田竹圃の祖父は秀吉による壬辰の朝鮮出兵で捕えられて渡来した人。竹圃は白石らと同じく木下順庵門下で、紀州藩に仕えた。
書簡末尾に、二十一日は都合が悪いから、二十二日か二十三日に二冊の冊子返還のための復庵の訪問を待つという記述があるが、復庵に勤務があるなら帰りに寄って、白石宅で水漬(茶漬のようなものか)でも食べてゆっくりしてから迎えを呼んでもらえばよいというあたり、両者の親密ぶりがうかがえる。
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