白石晩年の書簡 378
上記書簡にすぐ続いて、四日後にまた洞巌からの来信に応える手紙を出している。
「九月廿四日之一函、一昨々日到来、先ず以て御強健の御便承り欣幸之至。されども貴地疱瘡などはやり、御心を苦しめられ候よし承り、いかにやいかにやと存じ候。御妊婦さだめてめでたく御開胎(出産)と察し入り候。次に白石(しろいし)の珍産殊にすぐれて潔淨、千里の御恩情程なく裁服し候て、御こヽろざしを衣被し候はむと、謝し候はんに詞なく候。又次に老拙家中、当時は病者も皆々事故なく、快然無事に候。貴意安かるべく候。此余条々御書面の序(順番)のまヽに申し答へ候。」
洞巌から「白石の珍産」を贈られたとあるのは、名産の白石和紙である。現在の宮城県白石市に当る白石地区では、江戸初期から特産として厚手の丈夫な和紙が漉かれ、紙布、紙子(紙の衣服)を主な用途として全国に有名だった。防水力と強度を増すために渋を塗った渋紙子もよく用いられたが、ここでは「潔淨」とあるから純白の紙布だったのだろう。
芭蕉の紙子愛好は周知のごとくで、「奥の細道」の旅に出るに当って、「紙子一衣は夜の防ぎ」として荷物からはずせないことを記しているし、「雪まろげ」に載せる「かげろふの 我が肩に立つ 紙子かな」の句は、冬の衣服である紙子を春になっても着かえずにいて、そこにかげろうが立っているという情景で、着慣れて軟らかくなった紙子に春の柔らかい日差しをダブらせた感覚を表現している。このように紙子は防寒用の衣服というのが当時の一般的観念である。
「九月廿四日之一函、一昨々日到来、先ず以て御強健の御便承り欣幸之至。されども貴地疱瘡などはやり、御心を苦しめられ候よし承り、いかにやいかにやと存じ候。御妊婦さだめてめでたく御開胎(出産)と察し入り候。次に白石(しろいし)の珍産殊にすぐれて潔淨、千里の御恩情程なく裁服し候て、御こヽろざしを衣被し候はむと、謝し候はんに詞なく候。又次に老拙家中、当時は病者も皆々事故なく、快然無事に候。貴意安かるべく候。此余条々御書面の序(順番)のまヽに申し答へ候。」
洞巌から「白石の珍産」を贈られたとあるのは、名産の白石和紙である。現在の宮城県白石市に当る白石地区では、江戸初期から特産として厚手の丈夫な和紙が漉かれ、紙布、紙子(紙の衣服)を主な用途として全国に有名だった。防水力と強度を増すために渋を塗った渋紙子もよく用いられたが、ここでは「潔淨」とあるから純白の紙布だったのだろう。
芭蕉の紙子愛好は周知のごとくで、「奥の細道」の旅に出るに当って、「紙子一衣は夜の防ぎ」として荷物からはずせないことを記しているし、「雪まろげ」に載せる「かげろふの 我が肩に立つ 紙子かな」の句は、冬の衣服である紙子を春になっても着かえずにいて、そこにかげろうが立っているという情景で、着慣れて軟らかくなった紙子に春の柔らかい日差しをダブらせた感覚を表現している。このように紙子は防寒用の衣服というのが当時の一般的観念である。
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