白石晩年の書簡 413
(二十八)康熙帝死去の情報 と白石の中国認識など
歳が変って享保八年の早々に、洞巌からの多岐にわたる質問への白石の返書が出された。残された書簡には日付の記載は抜けているが、全集本には編纂の工藤鞏卿によると思われる正月七日という頭書がある。
第一条は、前年十月二十四日付書簡で約束していた『五十四郡考』が洞巌のもとに届いた件の確認だから省いて、次の三条を見よう。
「一 御頼まれ候事にて、千三十枚これある物を五十五日間に御写出し御校合まで相済み、日数六十日に功畢り(完成し)候由、寒天と申し、御精神御壮健之事驚入り、珍重の至り幸甚に候。但し誰々も老境に入りては精神を保嗇(ほしょく 慎重に保つこと)第一義にて候。たとひ御なり候(できる)事にても今より後は一日に成され候事を二日にも然るべき御事に候。御賢息の御ために候条、必ず必ず其御心得然るべき事と存ぜしめ候。
一 御娘子御産如何、其外御疱瘡いかゞ、御気遣ひ尤も千万の御事に候。
一 子籠鮭(こごもりざけ)それにて(仙台地方で)さへ近年稀有の由御申し下され候。此辺猶以ての事に候処に、高橋殿より品々御届け下され、打寄り珍しく祝着。御紙上見候へば、種々御心遣にて到来し候段、浅からざる次第、御礼申しつくしがたき事に候。」
洞巌が無理をして頼まれた多量の写本に精力を費やしたことについて、その元気には驚きながらも、老境では出来ると思うことでも無理をしないように忠告している。
次の条では洞巌の手紙にあったその娘のお産や誰かの疱瘡といった心配事がどうなったかを聞き、続く条では鮭の贈物への謝辞を述べている。子古籠鮭というのは、仙台藩領の特産だった鮭の独特の加工品で、塩鮭の腹に塩蔵の筋子を後から納めたものだ。輪切りにして酒をかけて焼いて食べれば、いかにも美味だったろうと思われる。伊達家からの将軍家や諸藩への贈り物にもよく使われた外に、宴会料理の献立にも盛んに取り入れられたので、産地では藩による統制が実施されたこともあり、この頃すでに品薄になっていて、洞巌は入手のために「種々御心遣い」が必要だった。
歳が変って享保八年の早々に、洞巌からの多岐にわたる質問への白石の返書が出された。残された書簡には日付の記載は抜けているが、全集本には編纂の工藤鞏卿によると思われる正月七日という頭書がある。
第一条は、前年十月二十四日付書簡で約束していた『五十四郡考』が洞巌のもとに届いた件の確認だから省いて、次の三条を見よう。
「一 御頼まれ候事にて、千三十枚これある物を五十五日間に御写出し御校合まで相済み、日数六十日に功畢り(完成し)候由、寒天と申し、御精神御壮健之事驚入り、珍重の至り幸甚に候。但し誰々も老境に入りては精神を保嗇(ほしょく 慎重に保つこと)第一義にて候。たとひ御なり候(できる)事にても今より後は一日に成され候事を二日にも然るべき御事に候。御賢息の御ために候条、必ず必ず其御心得然るべき事と存ぜしめ候。
一 御娘子御産如何、其外御疱瘡いかゞ、御気遣ひ尤も千万の御事に候。
一 子籠鮭(こごもりざけ)それにて(仙台地方で)さへ近年稀有の由御申し下され候。此辺猶以ての事に候処に、高橋殿より品々御届け下され、打寄り珍しく祝着。御紙上見候へば、種々御心遣にて到来し候段、浅からざる次第、御礼申しつくしがたき事に候。」
洞巌が無理をして頼まれた多量の写本に精力を費やしたことについて、その元気には驚きながらも、老境では出来ると思うことでも無理をしないように忠告している。
次の条では洞巌の手紙にあったその娘のお産や誰かの疱瘡といった心配事がどうなったかを聞き、続く条では鮭の贈物への謝辞を述べている。子古籠鮭というのは、仙台藩領の特産だった鮭の独特の加工品で、塩鮭の腹に塩蔵の筋子を後から納めたものだ。輪切りにして酒をかけて焼いて食べれば、いかにも美味だったろうと思われる。伊達家からの将軍家や諸藩への贈り物にもよく使われた外に、宴会料理の献立にも盛んに取り入れられたので、産地では藩による統制が実施されたこともあり、この頃すでに品薄になっていて、洞巌は入手のために「種々御心遣い」が必要だった。
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